一個の精神がどれほど多くの真理に耐えうるか、どれほど多くの真理を敢えて試みるか、これこそが私にとってますます本来の価値基準となってきた。誤謬(―理想の存在を信じること―)とは盲目のことではなく、臆病のことなのだ。認識におけるあらゆる獲得、あらゆる前進は、勇気から、自己への苛酷さから、自己への潔癖さから、結果として生じるのだ・・・・・・・私はもろもろの理想の存在を否定はしない。ただ、それらに出会うと手袋をはめるだけだ。
――――――F.W.Nietzsche
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https://drive.google.com/file/d/15Hs7Us8pcS7YKzE-d2OfOUsC5JF8DR0h/view?usp=drivesdk
https://drive.google.com/file/d/1lzQA5SiWX4gHa_oE_v9-Qod9-cpj1AIz/view?usp=drivesdk
哲学は、かくして思惟を社会的現実のなかに批判的、体系的、全面的、徹底的に貫きとおす仕事にほかならないのであって、科学とは種類を異にする特別な方法をもっているのではない。科学や常識が自己の活動部面のなかで、制限的に使用している思惟を全面的に使用し、社会的現実のある部面のなかになぜ科学的思惟が浸透しないかの理由をあきらかにする任務をもつのである。・・・・・・・思惟が社会的条件にも規定されることを自覚し、この自覚を通じて、条件にしばられている人間を解放せしめるごとき実践を指導するところに、哲学の真の使命がある。
――――――哲学事典